「ごめんなさい」や「ありがとう」が言えない人は社会人失格
人間に与えられたコミュニケーション手段のひとつである、言葉。
子どものころから、悪いことをしたらごめんなさい、何かしてもらったときはありがとう、を言うようしつけられてきたと思いますが、残念ながらこの二言が言えない大人がいます。
最低限の礼儀を知らない人は、もう社会人失格だと思うんですよね。あなたの周りにもこんな人いませんか?
年齢を重ねるにつれ理解できる感謝の気持ち
若かりしころは「独りでも生きていける」とか「誰に頼らずともやっていける」なんて思いがちです。
自分の能力は誰よりも高く、それをうまく活かしてくれない周りが悪い。輝かしい才能を見出してくれない世の中が愚かだ。お前らはみんな底辺だ…
なんて、そこまでいくかわかりませんが、ちょっとプライドの高い人なら心の奥底でそんな想いがくすぶっているかもしれません。
当たり前のことが幸せと感じる
学校を卒業して社会に出れば、みんな下っ端です。思いどおりにコトを進めることはできません。
やがて自分より下に人が入ってきたときにはじめて上に立つ苦労がわかり、結婚して子どもができれば親のありがたさがわかり、周りが支えてくれたからいま生きているんだ、というのをだんだん実感するようになります。
なにかキッカケがあるごとに「感謝」の気持ちを覚えていく。
僕もまだまだ若輩者ですから、これからもっと感謝の気持ちが大きくなっていくでしょう。そうして、その過程と経験をもとに人を育てられればいいなと思っています。
就職したばかりの社会人 1 年生に『感謝しながら生きろ!』なんて言いませんが、「ありがとう」と言葉にすることは大切だってことは教えます。ミスしたら「ごめんなさい」です。
こんな基本的なことを教えないとわからない人がたくさんいるのは、なぜでしょう?
なぜ「ごめんなさい」や「ありがとう」が言えないのか
どうやら、「ミスを認めたら自分の負け、感謝したら自分の地位が下がる」と考える人が少なくないようです。
育ってきた環境なのか、そう教えられてきたのか、それが今の常識なのかはわかりませんが、言動を見たり実際に話を聞いているとそんな認識を持っていると感じます。
たしかにプライドが邪魔して、っていうのは誰にでも経験があります。
- 素直に自分から折れることができなかった
- 謝るタイミングを逃してしまった
- 気恥ずかしくて、面と向かってありがとうが言えなかった
今までの人生で思いあたる節があるんじゃないでしょうか。僕は腐るほどありますよ。
でも、これが慢性化してしまうと、社会人としてこの先苦労するのは目に見えています。というか、社会人失格と言ってもいいかもしれません。
口に出す回数が減るほど、その言葉が重くなる
「ごめんなさい」や「ありがとう」を言えずにいると、その言葉自体に重みを感じるようになります。
わずかなミスが致命傷であるかのように錯覚してしまい、地位や名誉だけではなく自分という存在にまで影響するんじゃないか、と。
その思いが怒りに変わる人もいます。仕事で何かのミスがあって指摘されたら、『オレのせいじゃない。あいつが悪いんだ』と、自分の非を認めなくなってしまいます。
これだと組織のなかでは到底やっていけません。サービス業でお客様とのやりとりのなかであったら、それこそ致命傷になるかもしれませんね。独立してやっていくのはなおさら無理でしょう。
たった一言「すみませんでした」で済む話がどんどん悪い方向に進んでしまい、「ありがとう」の言葉もなければ孤立していきます。
「すみません」が口ぐせになっている人もいて、それはそれで言葉が軽すぎてどうかなと思うこともありますが、感謝も謝罪も言葉で表せないのはコミュ力がどうこうより、社会人として失格です。というか、人として最低ラインを割っています。
素直に感謝や謝罪の気持ちを伝える3つの方法
心の奥底では自分が悪いことはわかっているし、支えられて生きていることもわかっている。
ただ口に出すことがないから周りに誤解されるだけであって、当の本人が悪人だというわけではありません。
もしあなたが素直に「ありがとう」や「ごめんなさい」を言えないなら、今日からちょっと考え方を変えてみてください。周りにそんなひとがいれば、考え方を教えてあげてください。
すぐに自分を変えることはできませんし、周りがその変化を認めるのにはさらに時間がかかりますが、自分と未来を変えられるのはあなた自身です。ほかの人間にはできません。
(1)自分を許してあげよう
ミスをしたとき、誰かに助けてもらったときは自分の不甲斐なさに腹が立つかもしれません。その怒りは内面に向けられることもあれば、外面に向かうこともあります。
自分を許せない気持ちはよくわかりますし、それは決して悪いことではないんです。
でも、周りにはたくさんのひとがいて、直接的に間接的にあなたを支えてくれています。その現実を受け止めて、もう少し甘えることを覚えてみてください。なかには掛け値なしにあなたのことを心配してくれる人がいます。
甘えるということは、自分を許してあげることです。今まできっと苦しんできたんですよね。そんなに苦しんだのならもう十分じゃないですか。誰かに頼っても大丈夫ですよ。
頼ることは負けではありません。成長に必要な過程です。大切なのは、どうミスを繰り返さないか、どう周りに恩返しできるか、です。
(2)絶対的に自分を高めよう
本当に強い人は、己の弱点を知り、一度ミスを犯したらそれを繰り返しません。自分より才能がある人を素直に認め、自己研鑽に努めます。
自分自身の評価は、どうしても相対的なものになってしまいます。他人がいてはじめて己の存在を知り、そのレベルを確認できます。
しかし、他人を蹴落とすことで自分が相対的に上になろうと考えるのは間違いです。そんなことをしても成長しません。絶対的に自分のレベルを上げていきましょう。
常に「勉強する」という姿勢を崩さなければ、過去の自分よりは確実に成長できます。
なかなか勇気のいることですが、まずは自分の立ち位置を客観的に見ることからはじめてみてください。最初は誰でもレベル 1 からスタートです。
強力な武器や呪文を手に入れるだけではダメ。それを使いこなせるようにならないとね。
(3)意識して先手の挨拶を心がけよう
「ごめんなさい」や「ありがとう」だけではなく、日常の挨拶を自分が先に言うようにしてみてください。
出勤したときは、相手よりも早く「おはようございます」です。これは上司だろうが部下だろうが関係ありません。
相手にハッキリ聞こえるように挨拶ができなければ、「ごめんなさい」も「ありがとう」の言葉も伝わりません。コミュニケーション手段ですから、伝わらなければ意味がないのです。
小さな声でボソボソ話すクセがついているなら、意識して大きめの声を出す。いつも自信がないように背を丸めているなら、ちょっと胸をはってみる。そんな小さなことからでも OK です。
自分に自信が持てれば、感謝や謝罪の言葉はスムーズに口から出てくるようになります。笑顔も自然と出てくるでしょう。
まとめ
「親しき仲にも礼儀あり」ということわざどおり、コミュニケーションは職場だけではなく家庭内でも必要です。
ごめんなさいもありがとうも交わせない家庭なら、そこで育つ子どもは社会になってから苦しむかもしれません。
実行に移すことは大変なことですが、できることから少しずつ変えてみてください。周りにそんなひとがいれば、突き放すのではなく上手に育ててあげてください。
人とひとは支えあって生きています。それだけは忘れないようにしたいですね。
それでは、また。